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オーストラリアは、この時期が真冬の季節である。 しかし、シドニーや首都のキャンべラと違いここノースクイーンズランド(ケアンズ周辺)は、赤道に近いために冬といっても朝晩が少し涼しい(18度)位で、日中は太陽が照りつけると簡単に28度以上になる。それに湿度が無いために7月の北海道あたりの気候とよく似ていた。かなり爽やかっなのだ。 日の出は午前7時少し前であった。 部屋のテラスのデッキチアーに腰掛けてコーヒーを飲んでいると、ダンク島の後ろより大きな太陽が昇り始めた。 このホテル「ザ・ホライゾン」はサウスミッションビーチ地区のはずれにあり、地元住民の間では高級ランクに位置する隠れ家的な雰囲気のリゾートとして知られている。 丘の中腹をうまく利用して建っている各部屋は、単独のコテージ風造りになっていてテラスからの眺めがかなりゾクゾク的に良い。 このリゾートホテルもたまたまネットで発見し予約したものであるが、日本の旅行代理店ではチケットの手配が困難なのか、それともあまりにヘンピすぎるのか日本人はほとんど宿泊しない様子であった。 朝食を摂るために向かった先のレストランはレセプションと同じ棟にあり、プールサイドに面たオープンエアー造り。 サラサラと椰子の葉を揺らしながらそよぐ海風に包まれながら摂るバイキング形式の朝食は、これがまた格別で本当に心と体をリラックスさせてくれる癒しの空間であった。 ホテルをチェックアウトしたのはAM9:00。 「運転気をつけてね-っ」とキリンビールファンのフロントのお姉さんに送られて、サウスミッションビーチよりミッションビーチを経てケアンズまで約150Kmのドライブが始まった。 *ホテル「ザ・ホライゾン」の情報はこちらから・・・・・・http://www.thehorizon.com.au/ 本日は船のチェックインをケアンズの港で午後1時までに済ませなければならないので、寄り道は一箇所だけである。 そして、その寄り道はどこかというと隣のミッションビーチである。 このビーチには23年前に訪れたときの印象が炸裂で、一生のうちにもう一度訪れたいと思っていた場所だった。 なぜに?それは日射病で行き倒れになってなってしまったところをオージーの漁師に助けられたという辛い思い出の場所であるからだ。 今から23年前-----その頃、一人旅の俺は雨季のケアンズのしかも日のあたらない安宿で、体調を崩し何日も足止めを食っていた。 もともと湿気は大の苦手であるが、その年のケアンズの雨季は最悪であった。 今とは想像もつかないほど田舎だったケアンズは、高層建物といっても木造3階建てが精一杯で、道路はメチャクチャ水はけが悪く、芝生とも雑草ともつかない草に埋め尽くされた歩道なんぞを靴で歩こうものなら、一瞬のうちにグズグズになってしまうから、車道を歩くか裸足で歩道をグニョグニョ歩くかどっちを取るか的な状況であった。 いたるところにゴロゴロしているアボリジニもほとんど裸足。住民のほとんどは傘も差さずにどんよりと鉛色の空の下をジトジト無口で歩いている・・・・。 −−うぅそんなんじゃない! オーストラリアの内陸部アリス・スプリングから長距離バスで33時間、青い海とサンゴ礁を夢見てやって来た青年(オレ)は完全に打ちひしがれてしまったのである。 がっかりであった。 落胆した。 おまけに毎日が風呂場のような状況の中で、油断をするとそこらじゅうにキノコが生えてきて、冷蔵庫など無い宿だから食パンもすぐにカビだらけになってしうありさまだ。 太陽は何日も顔を出さず、カビを不器用に取り除いたパンにジャムといったほとんどホームレスの生活で、とうとう腹痛と微熱で俺は寝込んでしまったのである。 ジメッとした部屋のカビ臭いベッドと共同トイレの間をお腹を押さえながら往復しながら夢見ていたのは、どこまでも白い砂浜と青い海、そしてガンガン照りつけるグレートバリアーリーフの太陽なのであった。 数日間が過ぎ、そしてなんとか歩けるくらいに体力が回復してきた頃、ようやく長距離バスで鉛色のケアンズを脱出する時がきたのである。 目指すはずっと思い描いていた理想郷。 クーラーがガンガンにかかったバスの車内で、窓にもたれかかって背中を丸めお腹をさすって試練に耐えていたその時、視界にいきなり飛び込んできたのがミッションビーチだった。 椰子の間からキラキラこぼれる夏の日差し、どこまでも続く白い砂浜・・・そこには夢にまで見た世界が窓いっぱいに広がり・・・その瞬間衝動的に何も考えず下車してしまったのである。 ・・・・・・・・・ミッションビーチというバス停で、しかも乗客の中でたった一人。 荷物を放り出し、裸足で砂浜へ駆け出すと果てしなく延びるビーチに人影は無く、そこは波と風の心地よいサウンドだけが支配していた。 「うぉこっこれは」っと身震いしてしまうほどの風景であったのだ。 ところがそれは取り返しのつかない大問題であった。 1時間ほどして、少し落ち着きを取り戻した俺は、ゆっくりとバス停まで戻ってみた。次のバスの時刻を見る為に。 えーっと次のバスは朝10:30。 へっ? は〜?・・・なんと大きな時刻表のボードには一日一本のバス到着時間がたった一つだけ書いてあった。そうなのであるヤクルトでもあるまいし一日一本しか通らないのである。 しかも冷静にあたりを見回して気がついたのは、まったく家が無い・・・っという現実だった。 まったく無いと書くと少し大袈裟になってしまうのできちんと説明すると、家があってももう何年も人が住んだ形跡が無い荒れ放題の家とか、少しましな程度の家は「For Sale」の看板が掲げられていたりして人影すら無いのである。 なにか情報を得ようと小一時間ほどあたりを歩き回ってみたもののまるで人には会わないし、ましては車も通らなかった。 唯一分かったことといえば、今はシーズンオフで日本で言うと真冬の軽井沢状態。しかも日本のバブルのあおりを受けてこんなところの土地も値上がりし、住みもしないのに資産家が投資目的で買いあさった為に地元の住民は引越してしまったようなのである。 ビーチではあんなに愉快に感じていた風も、現実が見えてくるにつれなんだか荒野に吹く物悲しい木枯らしに変わり、あのキラキラしていた太陽も、正午を過ぎた頃から俺の体全体を焼き尽くさんばかりに脳天を中心にガンガン攻撃してくるようになったのだ。 ・・・・・ともかく頭の中が「無」の状態であった。 重さ25キロのバックパックと約5キロのショルダーバックを体にまとい、気温35度前後の中を全身グチョグチョになりながら2時間以上も宿を探しながら道路をフラフラ歩いていく哀れな人になってしまった。 最初の頃は「近くに安宿くらいあるだろう」などとそんな軽い気持ちで歩き始めたのだが、依然・・・誰にも会わない・・・のだ。 ここはメインの国道よりも10キロほど離れているために、乗用車もよほどのことが無い限り通らないのだろう。 いゃーもう限界・・・・わずかな木陰を探すと、半分やけくそになった俺は歩道に頭を乗せてセンターライン方向に足を広げて道路の上に大の字になると、タバコを吸い始めた。 意識がだんだんともうろうとしていく中で、なんか「太陽にほえろ」のGパン刑事みたいな最後だな・・・っと妙にそこだけは頭が回っていたけれども、すぐにどっかに飛んでいき本格的に意識を失ってしまったようである。 「キキィーー」急ブレーキの音でハッと目を覚ますと、ずいぶんと西に傾いた太陽の光の中に、トラックが止まった。 そしてそれは俺のわずか10メートル手前であった。 車の中から出てきたのは、50を少し過ぎたくらいのオヤジであった。 車内には中学生くらいの男の子もいた。 話によると、二人は親子で漁に出かけた帰り道に、まったく偶然にこを通りかかってくれたのである。 「まず人は通らないよっ」とオヤジに言われ、「あんたはラッキーだったよ」告げられ、そこから約10Kmほど先のたった一軒だけのホテルまで送ってくれた。。 話は戻って現在のミッションビーチは、道には昔の面影は少しは残っているものの、リタイヤしたハイクラスのオーストラリア人が住むところとして、近年急激に再開発されて真新しい家が悠然と立ち並んでいるのである。 一生にもう一度だけ、この目で見たかったミッションビーチ。 23年前の大冒険をした道を今、夫婦でドライブしているなんてなんとも感無量であった。 その後、たんたんと続くサトウキビ畑の直線道路を2時間ほど走り、ちょうど昼頃にケアンズ中心街にあるトリニティーワーフという桟橋に到着した。 レンタカーから荷物を引きずり出し、キャプテンクッククルーズのオフィスに向かった。 チェックインを済ませると、「日本人乗船している?」っと聞いてみた。 「あなたたちだけよ!スペシャルゲストじゃない!!」受付の2人のお姉さんは爽やかに答えてくれた。 ----今回のクルーズは期待できそうだぞ! 13:00少し過ぎに乗船開始。 今回の乗客は70人程度で、まさにプライベートヨット感覚のクルーズだ。 お国別にみると一番多いのがやはりオーストらリア人で50名くらい、そしてアメリカ人が10名、イギリス人が4名、ニュージーランド人が4名、デンマーク人が3名、オランダ人が2名、そしてわれら日本人が2名の構成である。 乗組員は、キャプテン以下船の運航には経験豊富なオーストラリア人、お客さんのお世話をしてくれるクルーはワーキングホリデーの関係だと思うが、ヨーロッパから来ている若い女性が多かった。 乗船して、軽いランチをいただきウェルカムカクテルを飲み終える頃には、我々を乗せた客船「リーフエンデバー号」はケアンズの港を離れて一路大珊瑚礁の海、グレートバリアーリーフを目指して速度を少しずつ上げていった。 その後客船に乗ると必須科目であるエマージェンシードリル(避難訓練)やシュノーケリング時の注意事項などの説明を2時間ほど受けているうちに、第一日目の上陸地であるフィッツロイ島が見えてきた。 だいたいどのクルーズでもそうなのだが、大きな船は沖に停泊してそこから乗客はテンダーボートと呼ばれる小さな船で島に渡り上陸する。 今回乗船したリーフエンデバー号は、大変よく出来きていてクルーズ船というよりも、ある意味学術調査船のような装備を持ち、海底がのぞける大型のグラスボトムボート1艇を最後尾に搭載し、小型のアルミボートを2艇、ゴムボートも搭載、さらに最後尾の機材室にはアクアラングの装備がぎっしり準備されエアーの充填も出来る構造にもなっていた。 これは船好きにはたまらない内容で、海洋学者ジャック=イヴ・クストーさんの調査船くらい充実しているのではないかと思われるほどだ。 ミーハー的な観光クルーズ船が多い中で、このマニアックな装備はなかなか唸らせてくれた。 島に上陸すると、さっそく船に一緒に乗り込んでいた自然学者によるレインフォーレスト(熱帯雨林)探検が始まった。 なんだかじっとりとしたジャングルに分け入り葉っぱや木の根を見ながらの早口英語は、ほぼ理解不能でなんだかよく分からない探検ツアーではあった。 ビーチに再び戻り、テンダーボートを待っているとはるか沖のリーフエンデバー号の周りをクジラの群れが潮を吹きながら、長いこと回遊しているのを見ることが出来た。 思わぬところでホエールウォッチングが体験できたのである。 |
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