夜明けとともに、リーフエンデバー号は4泊5日のクルーズを終え、出港したときと同じケアンズのトリニティ−ワーフへと帰ってきた。
朝食前に部屋の外に出しておいたスーツケースはすでにデッキに並べられており、船のあちらこちらでは次のクルーズの為の準備が早くも始まっていた。 我々を下ろした後この船は、午後から今度は3泊4日のクルーズに出発するのである。
最後の朝食のテーブルには、いつものメンバーが揃った。 うちらのテーブルの人たちは皆オーストラリア人なので、昼くらいの飛行機でケアンズからブリスベンあたりへ行くといっていた。 我々もとてもお世話になったキャプテンと写真を撮ったり、同じテーブルの人たちとメールアドレスの交換や住所の交換をしたりした。ほんの少しの間だったけれど同じ時間を共有したといった連帯感もあって、これでもう多分会うことも無いであろうと思うと少し寂しい気もした。 英語が堪能で、もっと沢山のことが話せればよかったのになっと思ってみたものの、覚えるよりも忘れるほうがはるかに速い頭の構造に最近変化してきているので仕方ないかもしれないかなっとも思った。
朝8時、船から下りると、ピアニストのケビンさんがタクシーを携帯電話で呼んでくれた。我々はクルーズのお礼を言うとタクシーへと乗り込んで本日の宿泊場所であるメルキュールホテルへ向かった。
このメルキュールホテルは最近のマイブームで、シンガポールやフィージーなどで利用してみたが、値段も安い割りに意外と設備も整っていて、従業員の対応も結構気に入っている。
今回は、インターネットでウィンターバーゲンフェアー朝食プラン部屋指定というものを予約しておいたので、窓を開けると前面に海が広がっていた。
チェックインタイムが午後の2時からなので、フロントの女性に交渉してみると端末で空き部屋を検索してくれた。
しかし、残念ながらまだ空いている部屋がなかったので、ともかく荷物だけは預けて身軽になったところでケアンズの中心部まで海岸通り沿いの公園を歩いていくことにした。
今回のケアンズは冬だけれども乾季にやって来たということもあって、湿度も低く日本で言う10月の初めくらいの気候であった。 タクシーの運転手さんも「今日は本当にラブリーな日だ!」っといって歌を歌いながら運転するくらいだから、本格的にいい季節にやってきたようだ。
街はというと20数年前とはまったく変わっていて、海岸線沿いは大規模に埋め立てられ高層マンションが竹林のように立ち並んでいた。
美しいビーチこそは無いけれど、どうも街全体がハワイのホノルルのような感じになてきていた。
土地や家の値段もここ数年で急激に値上がりをしたようで、不動産への投資の資金がずいぶんと海外から流れ込んでいるようであった。 最近の中国への鉱物資源の輸出でオーストラリア経済もずいぶん潤っているようで、ここのところ少し回復の兆しが見えてきた日本の経済とは比較にならないほど繁栄しているように見えた。
だいたいにおいて、物価の安い国でいかにお得な旅行をするかというのが基本的なテーマであるから、こういった状況では倹約旅行家にはなかなか厳しいものがる。
さて、ケアンズの街を歩いているといたるところに旅行代理店があり、世界中からやってくるグレートバリアー目的の観光客たちに安価なツアーや情報を提供している。 その中のパンフレットが沢山並んでいた一軒の旅行代理店に、何かお得な情報がないか入ってみることにした。
そういえばさっきから公園を歩いていると本当にいいお天気だ。 このチャンスを生かさない手はないなと遊覧飛行のパンフレットを物色してみたのである。
ありましたアリマシタ! なんと30分69ドルからの遊覧飛行! 白黒のパンフレットでなんだか怪しげではあったがこれの45分109ドル(約1万円)のシーニックコースをそこの旅行代理店で予約した。
遊覧飛行の出発は午後3時であったの、それまでケアンズの中心街でショッピングをしたりしてからタクシーで空港を目指した。
遊覧飛行の受付は、国際線ターミナルの反対側に位置する「小型機専用のターミナル」という名前だけはいっぱしでけれど、要するにほったて小屋で、飛行クラブ部室といった感じの事務所であった。
待合室で少し待っていると、オーストラリア人が3名ほど入ってきた。 話の様子では3人は他人同士ではあるが、どうやらケープトリビュートいうこれがまた熱帯雨林の中の小さな町へ仕事に行くようであった。
なにしろ、熱帯雨林(特にインドネシア)などは、密林の中に道路を造っても大量の雨で川になったり、または土砂崩れなどで管理するのに大変な手間がかかるといっていた。 そうなるともはや道路を造るよりも、いきなり滑走路を造ってしまったほうがはるかに手っ取り早いし車でいくよりも短時間でそこに到達できるということで、いたるところに小さな滑走路が点在している。
もちろん管制塔などはないし、緊急車両をはじめとした緊急施設などないからすべて自己責任で飛行機を飛ばすのである。 ここらでは主要な交通手段なのである。
また、ここの小型機専用ターミナルにはフライングドクターの基地があり、専用機が駐機していた。
これは、飛行機の救急車版で車ではいけない奥地や砂漠などの長距離を専門とするもので、機内には高度な医療設備と医者が搭乗して緊急時には飛び立つのである。 ちなみに警察も悪質なスピード違反は上空から飛行機で追跡するということであた。 やはりオーストラリアは広い・・日本の面積の21倍の広さはただものではない。
少しすると、今度は一人旅風の女性が待合室に入ってきた。
どうやら我々の激安遊覧飛行ツアーは、この女性とパイロット1名を含めた4名で出発ということになりそうだ。
パイロットは、背が高く痩せ型のオタク系の男であった。 動作も物静かというかかなりオットリしていて、でどういうわけかベルト無しのズボンが腰あたりまでズルッと落ちていてた。 ライフジャケットの使用方法や緊急時の対処などのブリーフィングを行い、本日の飛行コースの説明を受けた。
飛行コースはケアンズを飛び立ち、グリーン島をかすめてアーリントンリーフへ向かい、そこからウポルケイを上空から見るといった三角形を描くようなコースであると説明があった。
駐機場のなかを4人でペタペタと歩いていくと、飛行機はあった。 しかもなんだか駐機している中で一番ボロかった。
パンフレットにも「このパンフレットはコスト削減のために白黒で印刷されています。現地へ行ってみればとても美しい色で見ることができるでしょう」っとかなりコストパフォーマンスを重視しているようであった。 まあたしかに料金は他の会社の半額くらいだったしなー、っとパイロットと飛行機を見比べ、そして旅行代理店のパンフレットを思い出して妙に納得してしまった。
飛行機に乗り込み、ドアを閉めると機内はかなり古く、シートのスプリングはなんだか不揃いにごつごつしていて茶色くさびたネジがあちらにあり、ガムテープなんかで機体の穴をふさいであったりしていた。
とはいいながらももう乗ってしまったのだから、仕方がない。 おっとりパイロットの彼は機体のチェックなどを入念に行うと管制塔に離陸の許可を得て滑走路に侵入した。 キャセイ航空の大型ジェットエアバス機を待機させて我々を乗せたオンボロ遊覧飛行機は堂々と大空に舞い上がったのである。
ケアンズの町を左に旋回してグリーン島に機首を向けると、案の定今日の朝下船したリーフエンデバー号が新しいお客さんを乗せて次のクルーズをしているのを見ることが出来た。 青い青い珊瑚礁の海の中を力強く走っている船を見るのは感動ものの眺めであった。
さらに飛行機は、日本人に人気のグリーン島をかすめるように飛行して、広大なアーリントンリーフの上空を少しの間飛行した。
パイロットはおっとりしながらも、適切な箇所で機体を右や左に傾けたり、見所ポイントで少し高度を下げてくれたりした。 クルーズの間中この珊瑚礁を船の上から見たり、ビーチから見たり、はたまた丘の上から見たり、潜って見たりしたけれども最後の締めくくりとして上空から見たこの景色は本当に素晴らしい体験であった。
遊覧飛行も終わり、同乗したイギリスから今日の朝やってきたという女性とメールアドレスの交換をして、我々はホテルへいったん戻りその後オーストラリア最後の夕食を摂りにまた中心街へくりだしたのであった。
夕食を摂ったレストランは、オープンカフェ風の店であったが、ここでようやくTボーンステーキを食べることが出来た。
世界中の観光客が訪れ、世界各国の料理店が軒を連ね、お金を出せばなんでも手に入るケアンズへと町は大きく変貌してはいたが、この店のTボーンステーキの飾らない味付けや地元住人のゆったりと暮らし向きといったオーストラリア独自の文化が、バブルとともに忘れ去られないよう大自然と調和のとれた街へとますます繁栄していってくれることを願うばかりであった。
おしまい
2007年 夏 |