2001年8月8日 | Enjoy! バンコク |
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午前8時、船室のGPSでコースを確認していると船は、レム・チャバンの埠頭へと進路を取りはじめていた。 午前9時約束していた時間ぴったりにポーターが荷物を受取りに船室へやって来た。 昨年VIRGOに乗船したときには、確か廊下に決められた時間までに出しておくと自動的に運んでくれたのだが、ARIESの場合は、あらかじめコンセルジュに連絡をしておかなければならなかった。盗難防止と言う説明だが、当然のことながら日本語での案内は全くなかったので注意が必要である。 楽しかった船旅が終わり、短い間だったけれども船のクルーや他の乗客と沢山できたお友だちに別れを告げ僕らはタラップを降りた。 上陸すると、すでにトランクは運び出されていて、このくそ熱い炎天下の中40分も待ちぼうけしていた、ハイヤーの運ちゃんが少し不機嫌そうな顔で僕らを待っていた。 トランクと僕ら二人を車内に納めると、運ちゃんはフィルコリンズのカセットを少し大きめの音で鳴らし、またもやアクセル全開でトヨタカムリを国道を空港まで走らせた。 近頃タイ近郊では高速道路の整備が急ピッチで行われていてるらしく、少しすると出来立てホヤホヤの高速入口が見えてきた。 黒い排ガスを吐きながらトロトロは知っているバンに嫌気がさした運ちゃんは、「高速道路にのるか?」っとぶっきらぼうに聞いてきたので50バーツ(400円)を渡すと、カムリははじけるように高速道路へと突進していった。 ちょっとこのカッ飛び運ちゃんにはヤバかったかな――の予感はすぐに的中し、車のメーターは100キロから140キロ、160キロ,180キロとグングン上がっていく・・メーターのゲージは220キロまであったけれども、お客を乗せているのにこんなにスピードを出すなんて非常識!目が点になってしまった。 −−−またアクビが止まらなくなってきた運ちゃんに高速走行中に話し掛けるのもかなり危険な行為で、シートベルトをさらにキツク締める我々であった。 だって話し掛けるとどんな状況でも後ろを振返って話をするからなタイのドライバーは。 その後、カッ飛び運ちゃんの速度記録の更新は携帯電話の着信ベルによってひと段落し、160キロでの片手電話走行がしばらく続いたのであった。 手の平とお尻に十分冷や汗をかいた後、午後2時半にドン・ムアン空港に到着した。 ハイヤーの運ちゃんはチップを受取ると、ニヤっとしたがすぐに運転席に戻り、アクセル全開であっという間にいなくなってしまった。 日本行きのJALの出発時間は午後10時30分。 チェックインの時間を聞いてみようと、カウンターの空港職員に聞いてみたところ午後8時からということであった。 「まだ5時間もあるわよ!どうするのあんたら?」っと彼女はこちらを気遣ってくれるので、どこか面白いスーパーとか近所に無いかねーと尋ねた。 すぐそこにあると言うことであったが、カウンターのお姉さんは同僚に声をかけると、話がなにやら大きくなっていき、あそこがいいとかここがいいとか、チャックインの乗客を待たせてまで話に乗ってくれた。 最後にチャックインカウンターのデスクの上にあったボーディングパスを無造作にちぎると、裏にセントラル・プラザと英語で書きまじめた。タイ語でもしっかり書いてもらったのはいうまでもない。英語が読めないドライバーも沢山いるのだから・・・ ショッピングセンターには高速道路を20分ほど走り到着した。 ところがここで大事件が発生した。 メーターの無いタクシ−の値段交渉には何とか慣れてきたものの、このメータ付きタクシーのインチキ運転手がメーターを倒さなかったを、車内の"蚊"騒ぎですっかり見落としてしまったのだ。 車内にヤブ蚊が5匹ほどが獲物を探して飛んでいるのを見るとだれだってマラリア気分になってしまうでしょう。文明社会から来たツーリストにとっては大騒ぎなのですから・・・ さて、かの蚊と格闘してる僕らをニヤニヤと見ていた運転手は、ショッピングセンターの前まで来て渋滞にはまってしまった。 「ここで降りるから、いくらだい?」っと聞いてびっくり。300バ−ツ(900円)。空港の職員は60バーツ(180円)くらいじゃないかなっと言っていたので僕は運ちゃんに話がめちゃめちゃだと言った。 こちらも乗車する前に60バーツ位でいけるねと確認したので安心していたのだが運ちゃんは、「空港からシティーまでは300バーツの統一料金だ。」と譲らない。「こちらが200バーツもうこれ以上出せない。」っと言い張るとやはり300バーツの返事。車は道路に停車したまま値段交渉は難航してしまった。しょうがない250バーツの妥協案で運転手はしぶしぶ納得した。ただし高速道路代が30バーツだから俺の取り分は220バーツだと最後まで言い張っていたが。 ポケットから300バーツを取り出し、つりをくれと言うと今度はつり銭が無いといい始めた。このよく使う手は見え見えなので、こちらも少し凄んでみると、運ちゃんは100バーツを片手に車を降りて反対車線まで渡り、他のタクシーに両替してもらい戻ってきた。 運ちゃんよ日本人観光客をなめるでないぞ! 露天商の狭い通路を抜け、階段を15段ほど上るとショッピングセンターの入り口があった。 エアコンがキチッリと効いた店内はさしずめワイキキのアラモアナショッピングセンターの様な造りになっていて、中央は4階までの吹抜けスペースになっていた。 まずは1階のイベント会場で行われている、タイ、ミャンマー地方物産展を見ながら、お土産になりそうな品々を物色した後、ケンタッキーフライドチキンの前に立った。 高校生のアベックやら、お母さんに連れられた小学生、ちょっとワルそうなニキビつらの中学生まで、そこに集まっているお客の層は世界共通だ! よく見てみると、かなりの人がそれを食べており、もっとよく見ると店の入り口にはキャンペーン旗も立っている! ヨッしゃこれを注文と言うことでカウンターへ向ったものの、アルバイト姉ちゃんの完璧なるタイ語攻勢に、こちらとしては指差し確認状態でなんとか物を手に入れることができた。 セットは白いタイ米にあんかけタレがかけられたものとチキンが1ピース、サラダも載って日本円で約100円。ドリンクつきでも140円くらいであった。 ケチャップの容姿をしたタイ風調味料もかなり怪しいものがあった。 食後はスターバックスのアイスコーヒーを片手に休憩コーナーのイスに座って人の流れをぼんやりと眺めていると、家路を急ぐOLや夕食の特価品を調達する主婦たち、学校帰りのアベックや、靴屋のショーウィンドーを眺めている若者たちで午後5時を過ぎた街もにわかに忙しくなってきていた。 そろそろバンコクともお別れだ。ショッピングセンタ−から外に出ると帰宅を急ぐ庶民でバスターミナルも大騒ぎ。我々は人の波に押されながら露天商が両側にある狭い通路を大通りに向かった。 歩道橋を渡り、ある一軒の果物やさんの屋台の前で、ドリアンを見ていると先客のオヤジが日本人かと話し掛かけてきた。 このオヤジは日本とタイで旅行関係の仕事をしていると言う話をしながら、時折果物屋のお姉さんに的確に指示を飛ばしドリアンを切らせていた。 「どうだ君らも食うのか?」オヤジは言った。 一度は食べてみたかった果物の王様ドリアン。 加工食品では幾度となくお目にかかっているが、本物とのご対面はこれが初めてである。 オヤジが言うのには、ここのドリアンがここらの引き売りの中では「一番ウマイ。」ということである。 「日本人は臭いと言ってほとんど食べないがね」っといいながら丁寧に品定めをしてくれ、これがいいなっと僕らのためにお姉さんに目くばせをしてくれた。 手間ひまかけてカットされふさごとにビニールで包まれたドリアンに日本円で150円ほど支払い、僕らはオヤジとお姉さんに別れをつげ、少し先のバス停の裏の小さな公園のベンチに腰掛けた。 どれどれさっそくご賞味。 ・・・・んーバナナプリンをクレープで包んだようなその房はねっとりと怪しい匂いを放っち、なんとなく日本のシュウマイを感じさせる懐かしい味がした。 そしてこれがバンコク最後の味であった。 僕らは夕暮れせまる街を後に、再びドン・ムアン空港へと向う。 20時30分。定刻通りJL718便は日本へ向けて離陸した。 窓の外には宝石をちりばめたように街のネオンが広がり、どうもまた近いうちに戻ってきそうなっと思いながら、僕は空になったスカイタイムのコップを片手に夢の中へ吸い込まれていったのであった。 |